平成17年7月15日(金)  名古屋市中区那古野神社試楽祭

創建は延喜11年(911)といい、現在の名古屋城三の丸にあった鎮座していた亀尾天王社がこの那古野神社の前身である.
兵火で焼けた社殿を織田信秀(信長の父)が再建し、豊臣秀吉も社領を寄進しているが、徳川家康の名古屋城築城後は城内の一角に鎮座することとなったため城の鎮守神、城下名古屋の氏神とされた.
つまり郷土三英傑の織田氏、豊臣氏、徳川氏の庇護を受けていることになる.
明治9年、現在地に移り須佐之男神社、さらに同32年那古野神社と改称している.
 往時は車楽(だんじり)2輛とその献灯見舞車16輛を数える祭りで、東照宮祭、若宮祭とともに名古屋三大祭りと称された祭りであった.
維新後の社会変化、戦災で山車を失った現在は神輿渡御を主とする祭礼に変化しているが、境内に飾られる車楽にその面影を見ることが出来る.



境内の様子.露店もなく少々寂しい.


往時は氏子町内に数多く見られたであろう.

文政年間作と伝えられる車楽朝祭りの能人形


提灯で飾られた車楽.


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